教員・教育関係 現場の内情

【こんな理由があった】なぜ、学校は不登校児を登校させようとするのか

2020年9月21日

 

こんにちは、今回は【こんな理由があった】なぜ、学校は不登校児を登校させようとするのかというテーマでお話をしていきます。

 

 

こんな方におすすめ

  • これから小学校教員になろうと思っている方
  • 子どもの不登校問題について興味がある方

 

不登校の問題はいろんな状況があり、一概にこうだとは言えないところがあります。これから私なりの考えを述べていますが、全く的外れなことを書いている可能性もあります。法的なことや理論的なこともあまり言えません。

現場の経験を通して、感じていたことを中心に書いているので、そんな考え方もあるんだ程度に読んでいただけたらと思います。

 

 

不登校についてのとらえ方が変わってきた

 

何年か前に不登校の子どもが、「もう学校には行かない」と言ってユーチューブで話題になっていました。ネット上で賛否両論が巻き起こったことをきっかけに、テレビでも報道され、子どもが学校に行きたくないなら行かなくてもよいという意見と、最低限学校には行っておいた方がよいという意見がぶつかり、話題になっていましたね。

そして、子どもの命を最優先するという国の方針のもと、不登校の児童を無理に学校に行かせなくてもよいという法律も整えられました。それは、学校以外で学ぶことも教育であると認められたことを意味します。それで救われた子ども、家庭がある一方、学校や教育委員会は、そのような多様な支援、対応ができるのか戸惑いの声もあがっています。

ただ、決まったことである以上、法律で求められることと現場でできることを整理し、やるべき優先順位を決めて少しずつ進めていくというのが状況です。

 

今、学校の存在意義、必要性が問われていて、

「どうして学校に行かなくてはいけないのか?」という問いに学校は答えを求められています。

 

学校の個々の先生によってこの答えに対して一様に思いは持っておられますが、学校という組織で考えるなら、義務教育である以上、「子どもは学校に行くものである」ということを念頭に置いて動いていくでしょう。

そこでは、一人ひとりを大切にしながら、基礎基本の学力を身に着けさせ、たくさんの子どもと関わる中で人への優しさ、思いやり、社会性を育んでいくことを目的としているはずです。

 

なので、法律ができたとは言え、ベースは学校で学ぶということがまだ現場の基本になっているのではと思います。

 

 

学校はなぜ子どもを登校させるスタンスなのか

 

学校側の対応としては、不登校児童を学校に行かなくてもよいという選択肢から考えることはありません。むしろ、不登校児童をどうやって登校できるようにしてあげようかと考えることが中心となります。この考えのもと、いろいろと対応策を検討していくのです。

 

でも、なぜ、これだけ学校に登校できない子がいる中で、学校を行くことを中心として考え、対応をしていくことになっているのでしょうか。

 

「もっと柔軟な対応はできないのか」

「なぜ無理やり学校に行かせようとするのか」

など、学校現場の実情を知らない方は、けっこう厳しい意見を言ってくれています。

 

 

そもそも、なぜ学校は子どもが学校に登校できるようになることを前提に考えていくのでしょうか。それには理由が2つあります。

 

 

子どもの実態と家庭環境から判断

 

1つ目の理由は、不登校児童の実態と家庭環境を総合的に見て判断しているということです。子どもが学校に登校するにあたって、不安要素はないか、しんどそうなところはないか、友だちと良い関係を築けているか、そんなところから見ていきます。また、家庭環境のなんらかの影響で、学校に行けなくなっている可能性がないか、ということも念頭に置いて判断していきます。

 

例えば、これまで元気に登校できていた子どもが、突然不登校になると、学校は原因究明に動きます。何か理由があると考えるからです。

学校側の対応に問題がなかったのか、嫌な思いをしたことなどなかったのか・・・

 

しかし、登校しているときは、学習もそこそもできる、友だち関係も良好、どんなことも、そつなくできているという判断をすることもあります。不登校になるまで担任も特に不登校になる要素が見受けられなかったという見方ができることもけっこうあります。

それが、突然学校に行かなくなったとしても、その子自身に何か理由があったようには見えず、その子の特性、性格、友だち関係など様々なことを考慮しても、学校に行かない方がよい理由が見当たらないのです。

 

そんな場合は、家庭をサポートする方向へと話が進んでいきます。不登校になる原因が家庭環境にある場合もあるからです。

 

親が朝寝ていて、子どもを学校に行かせる準備ができない、ほったらかしで学校を重要視していないなど、子どもを学校に行かせることができない家庭もあるのです。このような家庭なら、子どもが不登校にならないように学校でできる支援を考えていくのです。

 

 

また、そのような家庭であった場合は、学校側は不登校の子どもに虐待がないかどうかも神経をとがらせています。法律で学校外の学びを保証するのは決まってはいても、子どもの安全を考えて完全に不登校でもOKとすぐに判断するのは少ないかもしれません。元気で過ごしているという確認はどうしても必要なのです。

 

「元気になるまでゆっくり休んでくださいね。」

とは言っても、学校への欠席連絡を求めますし、相手が嫌がったとても、学校からのコンタクトは続けています。

 

不登校児童やその親が、学校外で学ぶので放っておしいと言っても、やはり完全には放っておくことができないのです。

 

学校側は子どもに会えないということが長期間続くと、家庭で何かあったのではないかと考える必要があるので、学校から全く連絡を取らないとか、顔を合わすことを求めないというのは考えられないわけです。

ここの加減が非常に難しいですね。

 

 

つまり、いろんな状況を判断しながら、不登校にならないよう、働きかけをしていくとともに、不登校を認めてほしいと言っても完全に放ってはおけないのです。

だから、最初から全く学校に行かないことを前提に動くことがないと私は判断しています。

 

 

サポート体制の問題

 

2つ目の理由は、サポート体制の問題です。教員の数は、学校の中で教えることを念頭に決められています。ということは、学校に来れない不登校児童が多数いる場合、手が回らないのです。

もちろん、不登校児童であっても、法律で決まったように、子どもの学力の保障をしてあげなければなりません。不登校児童であっても、学ぶ機会を作ってあげるべきなのです。

 

学校に行けない子がいるなら、先生が家庭訪問をして学習を保証してあげられるとよいし、ほとんどの学校の教員は不登校の子に家庭訪問をしてでも、個別に学力保障をしてあげたいと思っているはずです。

しっかり子どもと関わり、どうして行きたくないのか、どうやったら行けるようになりそうなのか、そもそも学校以外で学びたいのか、など子どもとしっかり話し合っていきます。

 

 

学校の現実的な対応としては、まず学校に行けるようになるための方策を一緒に考えていくと思います。これまで学校に登校できていたなら、学校以外で学ぶという選択肢はすぐには選ばないでしょう。

学校に来れないとなると、個別の対応が必要になりますが、教員が学校外で個別対応をしていくのは時間的にも難しいのです。学校にいる子どもたちの対応だけで手いっぱいです。

 

もちろん、各市区町村によって、不登校児童を中心に家庭訪問をして個別のサポートをしていくれているところもあるかもしれませんが、授業がある中、教員が抜けて家庭訪問するような体制を組める学校はないのではないでしょうか。

 

学校に登校さえできれば、そこで手厚いサポートができます。例えば、支援学級などに入級すれば、いろんな支援を考えることができます。学校にはそういう体制は整えっているはずで、そこでは個別支援もできる可能性もあります。しかし、学校に登校できないとなると、学校ができるサポートは非常に小さくなってしまうのが現状ではないかと思います。

 

それを学校側もわかっているので、過去に登校できていたなら、どうやって登校できていた状態に戻してあげようかと考えるのです。もちろん、それが子ども、親にとってプレッシャーになってしまうケースもあるかもしれませんが。そこは非常に難しい問題で、学校側の対応、担任の関わりによっても相手の受け止め方が大きく変わってくるのです。より慎重で丁寧な対応が求めらえます。

 

 

教育機会確保法という法律ができたことで、不登校の子であっても教育の機会を確保することが決められました。簡単に言えば、子どもが学校を休むことを認めようという法律です。学校を選ぶ権利はもちろんのこと、学校以外の場であっても、学校と同等の扱いをし、義務教育を受けたことと見なされるようになったのです。

 

例えばフリースクール、適応指導教室、ホームスクールとかに通っても学校と同様の扱いになるってことです。

 

学校側としても、「フリースクールがありますよ」って言ってもよいようになったとも取れます。もちろん、不登校の児童にいきなりそんな話をするはずはありません。

そこまで行くにも多くの時間を費やし、子どもにとってどういう方向が良いのか考えて決まっていきます。

 

 

しかし、ここで問題なのは、学校以外の学びの場の選択肢が非常に少ないということです。サポートの体制も法律で認められているにも関わらず、あまり整っていません。まぁ学校外でのサポートをいっぱいしてほしいというニーズがどれくらいあるのかはわかりませんが。

 

学校側としても、手厚く見てあげたい、しっかり関わってあげたいという気持ちはあるので、それを叶えられるのは学校だとわかっています。

やはり、学校外での学びを学校が保証していくのは難しいので、どうにか学校で保証してあげられないかという思いを持って関わっているということを知っておいてほしいと思います。

 

 

不登校になっても学校とはつながっていく

 

やはり、これが大事なのかなと思います。

不登校問題で、学校が理解してくれないとか、無理やり学校に来させようとするとか、そんな話を聞きますが、それらの原因は全て、お互いの意思疎通がきっちりできていなかったことが多い気がします。例えば、学校と保護者はうまく連携していても、委員会と保護者がうまくいっていないとか。その逆もあります。

 

それから、不登校問題でよく聞くのが、

熱心な先生ほど保護者から煙たがられる存在になっていて、言葉悪いけど不登校の子を放っておいて気にも留めていないような先生ほど、「あの先生は良かった」となっていることがあるんですね。

極端な話、一生懸命に関わっていこうとする先生はダメで、適当な先生は良いというのが不登校児童の問題ではうまくいったりするんです。

 

これは先生の立場としては悲しい話ですが、私自身も納得できるところがあります。

 

 

それでも、つながりは持っておく必要はあるとは思いますし、つながり具合は、相手との関係次第なので、どういう風にそんな関係を築いていくのかが非常に大事になってくるでしょう。

少なくとも、相手の思い通りにだけ関わっていくのではなく、少しは新しい刺激を与えらえる先生であるのがよいのではないかと私は思っています。

 

 

しかし、家庭が学校以外の学びを求めているのに、対応を学校がするというのも問題だと思いませんか。家庭が学校以外の学びを求めても、結局は学校とつながっていかなくちゃいけない。学校側としても、子どもの籍はあるわけなので、放っておけないし、関係は構築していく必要が出てくる。

いっそ、学校から完全に独立した機関を作ってしまえばいいのになぁ。お互いにすっきりするんじゃないかな。

 

 

まとまりませんので、今回はここまで。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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